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March 1231997

 食堂車花菜明りにメニュー読む

                           杉原竹女

菜は「菜の花」の別称。食堂車のテーブルに菜の花が活けてあり、あたかも花の明かりでメニューを読むような、楽しい気分。窓外の風景にも、時々菜の花畑が現れては消えていく。新幹線のビュッフェなどでは味わえない心持ちである。昨今の鉄道は能率一本やりで、情緒がなくてつまらない。昔の食堂車の料理は、美味とは言えず高価でもあったが、旅の楽しさを演出してくれていた。汽車の旅の楽しさをいま求めるとなると、さしずめヨーロッパの鉄道あたりだろうが、テレビで見るかぎりは演出過剰気味のように思える。手元不如意のときに、あちらでは駅弁を売ってないのも困る。(清水哲男)


July 1971999

 なすことも派手羅の柄も派手

                           杉原竹女

ずは「羅(うすもの)」の定義。私の所有する辞書や歳時記のなかでは、新潮文庫版『俳諧歳時記』(絶版)の解説がいちばん色っぽい。「薄織の絹布の着物で、見た目に涼しく、二の腕のあたりが透けているのは心持よく、特に婦人がすらりと着こなして、薄い夏帯を締めた姿には艶(えん)な趣がある」。要するに、シースルーの着物だ。というわけだから、女の敵は女といわれるくらいで、同性の羅姿には必然的に厳しくなるらしい。とりあえず、キッとなるようだ。派手な柄を着ているだけで、句のように人格まで否定されてしまったりする。コワいなあ。と同時に、一方では俳句でも悪口を書けることに感心してしまう。鈴木真砂女に「羅や鍋釜洗ふこと知らず」があるが、みずからの娘時代の回想としても、お洒落女に点数が辛いことにはかわりあるまい。反対に、男は鍋釜とは無縁の派手女に大いに甘い。「目の保養になる」という、誰が発明したのか名文句があって、私ももちろん女の羅を批判的にとらえたことなど一度もない。新潮文庫の解説者も、同様だろう。それにしても、羅姿もとんと見かけなくなり、かつ色っぽい女も少なくなってきた。昔はよかったな。(清水哲男)




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